経験収集家:井口佳亮
4 Share Tweet旅行することと写真を撮ることは密接に関係しています。井口佳亮(いぐちけいすけ)さんは過去10年間でおよそ75ヶ国へ行き、各国を記録していきました。彼は自身のことを、旅行者や写真家よりむしろ経験収集家と呼ばれたいと思っている人物です。
彼の写真は尊敬と相互関係の信頼に上で成り立っています。見知らぬ土地で撮影するとき彼は気配を消して街角に立ちながら人々の日常を傲慢に切り取ろうとはしません。シャッターを押す前に、まずそこで暮らす人々のことや日常を捉えようとします。そしてカメラがよそ者ではなく、歓迎される存在となったその時、ようやくシャッターを切ります。
彼がもうじき出版する写真集『Politics is for Losers,』は10年間にわたる長旅の中で、美しく力強い魂を捉えてきた一冊です。
はじめまして!まずは自己紹介をお願い致します。
どうもはじめまして、井口佳亮です。1983年生まれで、14歳の頃からLC-Aで撮り続けています。以来18年間、私はロモグラフィーが大好きです。中学生だった1990年代後半、若者のサブカルチャーにフォーカスした「Studio Voice」と「Relax」という月刊誌があり、私は熱心な読者でした。正確には覚えていませんが、その雑誌たちは頻繁にLC-Aに絶大な賛辞を送り、その大変な気まぐれさをものともせず「スーパー・スタイリッシュなカメラ」として紹介していました。
ある日親友のセイジが、誕生日プレゼントとして貰った真新しいLC-Aを学校に持ってきました。彼は私に使い方を教えると、数日間貸してくれさえしました。その時ですね、創造的で実験的な写真の世界へ初めて触れたのは。そして数ヶ月後、私は祖母をデパートへ連れて行き、誕生日にLC-Aを買ってくれるようにねだりました。LC-AにFerrania Solaris 800フィルム(廃番)をセットして写真を撮るのが、自分のブームでした。冷たいような暖かい色味は、明るくて強烈だけれど、どこかノスタルジック。1時間仕上げのフォトラボでプリントを受け取るたびに、私はソフィア・コッポラと一緒に過去へ戻る虹の上を渡り、帰りは想像力ではちきれそうになっているリュックを背負いながらミシェル・ゴンドリーと歩いている気持ちでした。説明するのは難しいですけど、まあそんな感じです。
なぜフィルムで撮影しているのですか?
わかりません。考えたことさえないです。私がフィルムで撮る大きな理由は、暗室で過ごす時間が好きだからです。デジタルとMP3、フィルムとレコードを比較する話をよく聞きますけど、私にとってフィルムはカセットテープみたいなものです。
高品質なデジタルプリンティング技術は銀塩プリントよりも「ましな」解像力があるといいますが、本当でしょうか?デジタル処理は従来の暗室処理よりも格安で、何でも早くできます。でも、例えば大きな都市で列車に飛び乗った時、誰かがウォークマン手にして座っていて、カセットテープで音楽を聴きながら静かに旅をしているのを見ると、私はかっこいいと思います。たぶん彼が聞いているのはビルボードのトップ10じゃないでしょう。彼がスムーズにテープを交換するのは、ロモグラファーがLC-Aで35mmフィルムを巻き戻して詰め替えるのに似ています。デジタルユーザーの方を批判しているわけではもちろんないので、誤解しないで下さい。
あなたの撮影スタイルを説明するとしたら?
何も思いつきません。それについては考え過ぎないようにしています。「深く考えるな」これが私のスタイルでしょうね、あえて言うなら。
普段あなたは何の写真を撮っていますか? 惹きつけられるのはどんな被写体ですか?
人物。私の周囲の人々です。普通に生活する、普通の人々です。ドラマは必要ありません。人々が幸せに微笑んでいるのを見ることが、私の幸せです。私は非常に単純な人間です。誰か良い雰囲気の人がいたら、撮りたい衝動にかられます。これは簡単に聞こえますけど実はそうじゃないです。あなたがその瞬間を写真に撮ることを許されていなければ、あるいは状況がそれを歓迎しないならば、写真を撮ることができません。まず最初に、彼らに対してオープンになって、信頼を得る必要があります。それは良いポートレート写真を撮るための醍醐味だとも思っています。
あなたは 従来の白黒現像 と 青写真(サイアノタイプ)プリント をされていますね。従来の暗室処理の強みとは何ですか? 現在のデジタル時代におけるこれらのプロセスの重要性とは何ですか。
私は鶏卵紙写真や湿板写真もやります。青写真(サイアノタイプ)や鶏卵紙写真は暗室を必要としませんが、私は保守的な暗室処理が好きです。赤い光の下で、印画紙に像がゆっくりと浮き出てくるのを見るたびに、私は人生という映画を見ているかのように感じます。時々このプロセスは私をとても孤立しているように感じさせますが、孤独なのではありません。とてもいい感じです。
信頼できるカメラを持つことも、私にとって重要です。とても繊細でハイテクなデジタルカメラを持ってアフリカの草原やアマゾンの熱帯雨林へは行けないですよね。私は毎年のように新しいカメラを買おうとは思いません。そんな余裕はありません。ですので、私はバッテリー無しで動く、シンプルでタフなフィルムカメラを選びます。私は9年間にわたってこのライカM4-Pを使っています。このカメラは匠である田鹿宣義氏に2度精査して頂いています。匠は銀座に小さな工房を所有しています。M4-Pはカナダ製で、他のドイツ製のライカM系シリーズよりも劣ると言われていますが、一度田鹿氏に修理してもらえばそんなことはすべて忘れてしまいます。巻き上げレバーを引くたびに、それはシルクのようにスムーズに動くのです。彼は他の人がするように高い料金は取りません。まるで手塚治虫の『ブラックジャック』のような伝説の職人なのです。私のカメラは酷使されてボロボロですが、依然とても正確に動きます。
ライカは女性のようだと思います。年齢を重ねるごとにその美しさが増すからです。またライカは重金属でできているので、夜の飲み屋で絡まれた時に非常に役立ちます。いろんな意味でフィルム写真はいいですよね。
あなたの本について教えて下さい。何からその発想を得ましたか?
私の本のタイトルは『Politics is for Losers(政治は敗者のためにある)』です。私にとって政治とは、一日中Facebookにへばりついて多くのイイねをもらえるようにすることや、Instagramで毎日自撮り写真を載せて自分の人生が他の誰よりも豊かだと誇示することと同じ意味を持ちます。それが私にとっての政治であり、完全に敗者のためのものです。私たちは、本当は必要ではない何かについて競争する代わりに、互いに愛しあい、尊重しあわなければなりません。「私を見て!見て!見て!」というタイプの人には心底うんざりしています。
私は誠実でありたいと思っています。東京で生まれ、ニューヨークで育ち西洋も東洋も見てきたつもりでした。しかし第三世界といわれる欧米諸国ではない国々の人々と話し、写真を撮ることは結局は西洋的なふれあい方だったと気づきました。そしてそれを辞めようと思いました。
私が路上で会った美しい『敗者』こそ、私が旅に出るようになった理由であり、写真を撮ることになった理由でもあります。彼らは常に私のインスピレーションの源です。
ジョン・プラインの『Crazy As A Loon(すっかり気が狂って)』、そしてマデリン・ペルーの『The Kind You Can’t Afford』という歌がありますが、それらも私を刺激しました。そろそろ支配体制に向かって「く○○たれ」と言える本を作る時だと思ったんです。
今までどんな国へ行きましたか? あなたが世界を旅するきっかけになったことは何ですか?
正確には覚えていませんが、たぶん70から75ヶ国ぐらいは行きました。世界中をバックパッキングでまわりはじめた時、訪問した国を数え、パスポートが色々なスタンプで埋められていくのを見ることがうれしくて幸せに感じていました。しかし30ヶ国ぐらい回ったあたりで数えるのはやめました。そんなことは私にとってもうどうでもよくなったし、関係ないやと思いはじめたんです。なので、今まで何ヶ国訪ねたか正確にはわからないです。
16か17の頃、放課後にセイジの家でジム・ジャームッシュの撮った映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観ました。私を世界へ旅するように背中を押した最大のきっかけは、たぶんそれだったのではないかと思います。また当時、チャールズ・ブコウスキーやジャック・ケルアックの本は私にとってバイブルのようなものでしたし、トム・ウェイツのレコードは賛美歌のようでした。日本人アーティスト、野村訓市氏の本『Sputnik』もショッキングで面白かったです。
旅があなたの本をつくるにあたって与えた影響はなんですか?またその結果は写真家としてのあなたにどのように影響しましたか?
まず私は自分のことを写真家だと思ったことがありません。私は旅行するときは毎回ただ写真撮影を楽しんでいるだけで、むしろ私はベテラン職人や経験収集家、あるいは詩人と呼ばれたいです。書くのも大好きですし。
そして私たちが同じ星に住んでいる以上、私にとって何ヵ国を訪問してきたかというのはあまり重要ではありません。旅は私の考えを拡げ、よりグローバルなものにします。会ったこともないような人に連絡をとって、訪れたことのない場所に行くのが好きです。ここ数年、地球上いたるところを旅しては、写真を撮って、ハガキを書いて友人に送っています。私は、いまこそこのことを本にする時期だと感じたのです。ただそれだけです。大きな理由はありません。
今まで行った国の中で、あなたにとってどの国が一番思い出深い場所になりましたか?
比べられませんね!それは私に「お母さんとお父さん、どちらが好きですか?」と訊くようなものです。私はそれに答えられません。大都市でも、荒野でも、その中間の場所でも、私はいくつもの違った観点で訪れた場所を愛し、尊重しています。
旅の道中、困ったことはありましたか?
フィルムの何本かは亀裂が入ってひどく傷んでしまったので、私が期待したようにはプリントできませんでした。たとえばベトナムの夜行列車のトイレで現像したり、中国でキャンプ生活していたときには、川でフィルム現像を試してみました。でも、どの汚れやしみも、やがて良い思い出になるんですね。
ただ最悪だったのは、オーストラリアのイーストコーストを旅行していた時です。グレイハウンドバスの中に35mmフィルムを全部置き忘れてしまったんです。そしてそれらは二度と私の手元には戻りませんでした。こんなクソみたいな感じのこともありますね。
最近私は中古のメルセデスのバンを買い、そこに住むようになりました。中には引き伸ばし機が置いてあります。私の友人ティムが「そりゃまるで『ローリング・ダークルーム(転がり暗室)』だな」と言います。いい響きでしょう?この写真の左上に、私のライカ・フォコマット1Cが見えると思います。
あなたがこの本を制作するプロセスを通して学んだことは何ですか?
物質主義や消費主義はうんざりしています。私は旅の最中、経済的には貧しいけれど精神的に豊かな人に数えきれないほど会ってきました。私にとって持たざることが鍵なんです。私は筋金入りの菜食主義のミニマリストではありませんが、この資本主義社会に飽き飽きしています。東京で生まれ育ち、21の時ブルックリンに引っ越し、後にシドニーやロンドンにも住みました。都市で暮らす中で私は本当の幸せがどこから来るのか、深く探求していませんでした。そこで私は暫くの間都市生活をやめ、暗室バンで生活することに決めたのです。道中、私のような人と出会って、新しい友だちができたらいいと思っています。彼らの写真を撮って、バンでそれをプリントして、それを彼らにあげるんです。それが最近の夢ですね。
将来どこへ行ってみたいですか?
火星かな。
最後に何かメッセージはありますか?
進歩的なオルタナティブ写真について教えてくれた 東京オルタナ写真部 の大藤健士さんと シルバーソルト 店主のティム・モーグさん、いつも親友でいてくれるハタノセイジさんにお礼が言いたいです。そしてトゥシータの仲間たち、スタン君とノッポちゃんどうもありがとう。Fromozのクルー、鶴原さんと西東京郵便局の方々、スタジオ5さん、 いとう写真 さんどうもありがとう。ユージン、今どこで何をしているのかわかりませんが、お元気で。最後に、ちょっとということではないけど、ユニスどうもありがとう。
私の作品をもっと見たい方は、 ブログ で私の人生を垣間見て下さい。
『Politics is for Losers(政治は敗者のためにある)』を予約したい方、出版のお知らせを受け取りたい方は、井口佳亮氏のメールアドレス mail@keisukeiguchi.com までご連絡下さい。
すべての画像は井口佳亮氏の許諾を得て使用しております。
※この記事は英語でのインタビューを日本語に翻訳したものです。
英語の記事はこちら▶︎ Collecting Experiences: An Interview with Keisuke Iguchi
2016-06-02 #people Eunice Abique の記事
翻訳 myrtus21
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