Memorial to the Holodomor Victims (Kiev, Ukraine)

78年前、ウクライナでは700万~1000万人にも及ぶ人々が飢餓により亡くなりました。この記念碑はキーウで起こった飢餓、Holdomorの犠牲者のために建てられたものです。この場所に漂う暗い雰囲気はロモグラフィーにとっても忘れられない、趣味深い背景を感じさせます。

過去の文書を元に歴史家は、この飢餓がウクライナ国民解放運動の抑圧のため、スターリン政権によって故意に起こされたものだったと主張しています。この資料によると、ウクライナでの飢餓は少なくとも三回(1921年、1932-33年、1946-47年に)起こり、地元住民1000万~1500万人の命が奪われました。1932-33年に起こった飢餓は、ウクライナの長い歴史の中で一番の悲劇です。

1932-33年に起こった「Great Famine」と呼ばれる飢餓は人工的に誘発されたものです。1931年の秋、スターリンは届けられた穀物が基準よりも少なかったことを理由に、ウクライナの豊かな穀物畑を没収するよう命じました。これがきっかけとなり1932年に大規模な飢餓が始まり、1933年の収穫期まで続いています。この人工飢餓は主に情報が封印されていたことで続いていました。この時、ウクライナは孤立していたため、外部からは何が起こっていたのか把握することが出来なかったのです。他の街へと続く道を農民は使用できず、腹をすかせた村の人々は外へ出ることが許されませんでした。秘密警察機関OGPUの兵士が村を囲んで穀物をかき集め、1933年3月の上旬には飢餓による死亡者が大幅に増加しました。ウクライナの様々な地域での死亡率は10%以上、多いところでは100%に及びました。

2006年の11月、元ウクライナ大統領Viktor Yushchenkoは、ウクライナ最高議会Verkhovna Radaが採用したHolodomorに関する法律にサインしています。「Candle of Memory」と呼ばれるこれらの記念碑は、2008年11月22日に栄光の公園に建てられました。地元のアーティストであるAnatoly Gaydamakはこのプロジェクトの立役者です。「Candle of Memory」は金色の細線細工の炎を灯す白いろうそくをモチーフに作られた32フィート(約10m)のコンクリート礼拝堂で、ろうそくの端はウクライナの刺繡を彷彿させる窓の装飾品で飾られています。記念碑の正面には、飢餓によって失われた24000人の命を象徴する24個の石臼に囲まれた小さな正方形が置いてあります。記念碑の地下には博物館があり、ウクライナで起こった悲劇について写真や映像から学ぶことができます。

記念碑を訪れた個人的な経験は、悲しくも刺激的でもありました。ロシアに住むウクライナ人として、飢餓の犠牲者の中に自分と同じ名前が12人あっても驚きませんでした。もともとは祖父の村の出身で、私の親戚だったのです。

2022-06-06 #places plyshbel の記事

コメントはまだありません

他の記事を読む