Photographing the City and the Woman: 久富忠彦に訊く
Share Tweetその作品の中で、久富忠彦は被写体を街の混沌の中に孤立させる — それは、不条理が織り成す日常生活のヴィネット、そしてインタビューで明らかになったが、このフォトグラファーの感情を反映するものでもあった。
久富忠彦の写真作品に現れる女性は、しばしば奇妙なシチュエーションに出くわすことになる。忙しい大通りの真ん中で横になる、予想もつかない場所でしゃがんだり、立ち上がったり、他にも、あたかも足を滑らせて転び落ちたかのような体勢で階段の下にひっくり返ってみたり。写真に収められた彼女らの姿は、容易に忘れ難いものであり、そのストイックな表情と合わさって、時折不安感さえ抱かせる。
久富の写真でよく目にするテーマの一つだ。写真主題を親しみのあるシチュエーションに置くことで、彼は、日常生活を垣間見せながら、しかも意味の呪縛から解き放たれたイメージを創り出している。モデル達はしばしば、たった一人で写真に収められるが、その様は巨大な街に圧倒されてあたかも小人のようだ。興味深いことに、久富はこれを彼の感情を反映するものだと考えているそうだ。「あたかもその場から消え去りゆくかのようなフォトグラファーの」 自画像である。
『私が思うには、(こういった写真を撮る理由は)たぶん、孤独 だからです。』 彼はそう告白する。
1969年に福岡県に生まれた久富だが、現在は彼の愛猫と共に東京で生活している。この街は、しかし、このフォトグラファーにとって単なる生活の場ではない。東京の街は、その忙しげな住民、酸いも甘きも相合わせ、彼一流のインスピレーションとなっている。街道で写真を撮るときには、久富は少しあたりを散策してみる。気の赴くままにシャッターを切るときもあれば、全てあらかじめ計画しておくこともあるという。
久富がカメラのズーム機能を用いないようにしていることも、興味深い点だ。彼の意見を訊いてみよう。
『私はあまり決断力がないので、単焦点レンズを使うようにしていますが、不便を感じたことはありません。なんにせよ、私にとってはですが。』
久富が写真に魅せられてから、もう二十年以上となる。「生活感と混沌」 を捉えた作品を創出し、誰もが一度ならず繰り返し鑑賞したくなるようなイメージを生み出すために、試行錯誤を続けてきた。写真撮影は、衝動買いした中古の一眼レフカメラを使いながら、自ら身に付けた。最近の撮影には、Pentax 67やNikon F100を使用しているが、彼の作品の99%までが、フイルムカメラによるものだ。
写真および情報は全て、久富忠彦からロモグラフィーに提供されたものであり、許可を得た上で本記事中に使用されています。久富忠彦の作品は、こちらの ウェブサイト からご覧頂けます。
翻訳: phzzico
2015-06-22 #people #lifestyle Julien Matabuena の記事
翻訳 phzzico
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